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私が今回日本一周航海をすることになったいきさつは、昨年より55歳で定年になったら但馬銀行を退職して友人と一緒に海外旅行に行こうと話しをもちかけていたのですが、友人は但馬銀行を辞めずに残るとゆうことでした。
12月31日に兄と姉の所に蟹を持って行くのに気比の義姉が勤めているジャンボクラブに蟹を取りに行って帰る途中ユラクの管理課の事務所に伊藤さんの車がありました。
伊藤さんとは33年前但馬銀行電算部で11ヶ月一緒に仕事して以来の友人ですが(仕事とゆうより酒)最近はあまり会うことがなく事務所に車があったので年末の挨拶をして帰ろうと思い寄りました。
事務所に寄ると但馬銀行退職された森山さんと伊藤さんが話しをしておられました。森山さんも33年前電算部で一緒に仕事をしていた友人です。二人で何の良い話をしているのだろう、僕にも聞かせてくれと話の中に入りこみました。
すると資料があり、「夢日本一周航海計画」と書いてありました。伊藤さんが小型ボートで日本一周するのに、今日、森山さんに来てもらって一緒に行こうと説明しているところだったのです。日本一周する相方を探しているとのことでした。
森山さんは4月頃には就職しているので、この計画には参加できないとのことでした。
私は2月の誕生日で銀行を退職する予定でしたので、何で僕にも話をしてくれないのかと言いました。
伊藤さんはまさか私が銀行を退職するとは思ってもおられず私はまったくの対象外のようでした。退職することがわかるとすぐ、小型ボートで日本一周航海の計画書を熱心に説明してくれました。
私も55歳で銀行生活を区切って海外旅行等したいと思っていたので、海から日本一周なんてこれから先出来るはずは無い。計画もかなり詳しく調べてあり安心で安全航海を第一に考えて計画してある。時期も銀行退職後の5月、6月、この計画に是非乗ってみたいと思いその場でひとつ返事しました。
伊藤さんは大変喜ばれ、握手されました。自分の相方が出来て夢が一歩進んで行く嬉しさだったと思いました。
帰る道中、返事はしたものの、期間が約1ヶ月間もかかるので、家族の者に説明し納得してもらわなければならず不安でした。
帰ってから今日の話をして約1ヶ月間、家を留守にするけどいいかなと相談した所、娘たちはお父さんが長いこと働いてきたごほうびに行って来たらいいよ、と賛成してくれました。猛反対にあうのかと心配しましたが、家族に快く賛同してもらい、追い風に乗るよう、前向きに計画を進めることができました。
今年になって2月6日誕生日で退職のつもりでしたが上司から再三55歳過ぎても会社に残って欲しいと説得され、とりあえず3月31日まで会社に残る事となりました。
その後も日本一周航海は伊藤さんに頼んで来年まで待ってもらって会社に残って欲しいと説得されましたが、私も男と男の約束。今このチャンスをのがしたら後で後悔する。
ボートで日本一周するなんて誰でも出来ることではないと決断し、上司からのありがたい依頼を断り、3月31日で37年間の銀行生活を終えました。何でまだ若いのに銀行辞めるのですかと言われましたが、同僚、顧客にもボートで日本一周航海をするから、こんな冒険は今しかできないから、と言って来ました。
今までの自分だったら途中で断念するかもしれないと思い、今回の日本一周航海は是非ともやり遂げたいと思い有言実行と自分に言い聞かせてきました。銀行を退職してそろそろ準備に取り掛かろうと思った矢先、4月10日にぎっくり腰になり、痛くて歩けませんでした。
アトム、和田医院、川端整形外科と治療をしてもらい少し歩けるようになってきましたが5月の航海迄に直るか不安でなりません。
伊藤さんより4月18日連絡があり打ち合わせをしたいとのこと、説明を受けた後今日は凪だからボートに乗る練習をするとゆうことで城崎温泉マリーナへ、腰が痛いが大丈夫かなと心配しつつボートへ乗りました。
最初、円山川で波はなかったのですが、津居山港出たとたん波が高くて腰に衝撃が走りました。波は激しく、全く良くなる気配がありません。凪と聞いていましたので、これよりもっと波が高くなるのを毎日5〜6時間乗っていなければと思ったら大変なことだ。
話は進んでいるし今更断るわけにはいかないし、返事するまでにボートに乗ってから承諾したほうがよかったかな、と後悔の気持ちが沸いてきました。久美浜湾に着くと波は無く30ノットで走って大変気持が良かったです。それから香住町の方まで走ったのですが、又波が高く腰は痛いし波の高さを聞くと1m位だそうです。
1.5mまでだったら出港するとのこと、今日より波が高いし痛いし長時間乗っていなければならない、初めてボートに乗って酔わないことは納得しましたが、波の怖さがだんだん現実のものとなって来ました。
翌日、前々から予定していた友人との沖縄旅行を腰痛のためキャンセルし、不安がつのるばかりです。4月23日朝2時頃電話がかかって来て病院に入院していた兄が意識不明とのこと、朝一番の汽車に乗って埼玉の病院へ向かいました。
家族の願いもむなしく、午後6時54分亡くなりました。不思議なことに葬儀の準備をしている間に腰の痛みが和らいできました。兄が亡くなる時に私の腰の痛いのを持って行ってくれたのでしょうか。
そうこうしている間に練習航海の連絡が入ってきて、隠岐島の予定が小浜に変更になりました。伊藤さんの友人の萬谷さんと小浜へ、天気は快晴、波は穏やか、だんだんと気持ちは日本一周に高ぶってきましたが、まだ少し不安が…。萬谷さんも一緒に行けたら心強いのに…。
その後バタバタしていたら、5月19日ボートの掃除、読売新聞の松田記者さんの取材、もうあとには引けないこととなりました。私はO型人間だから何とかなるか、とゆう心境になりました。
但し子供が4人いますので、安全航海第一。
しかし、船の経験のない私、「伊藤船長さん、私は頼りになりませんがよろしくお願いします。」とまかせっきり。
5月21日いよいよ出港、家族、親戚、伊藤さんの会社の方、友人たくさんの方の見送りのなか、読売新聞・神戸新聞の記者の取材を受け、いざ出港!!気持ちは嬉しい反面不安も、夢に向かって海の冒険のスタートです。
第一航海、初日波が穏やかで2日目も絶好調。私達を歓迎してくれているかのように思いました。博多湾は大きすぎて引き波が大きく小型ボートを係留するのは大変なことだと分かりました。
鹿児島県の佐多岬を回ってから波が高く今まで経験したことの無い波、大隈半島の地域で携帯電話のつながらない所、港は無く波が2m以上となり10ノット以下でしか走れなく、波が治まる気配がありません。
私は無言でテスリを持って神様に波が治まるように祈るだけ、伊藤船長も無言でハンドルを握って運転。
3時間の格闘でした。横に座っていて何もしてないのですが緊張のあまり大変疲れました。私は初めて海の怖さを知り、これから先、日本一周することが出来るかなと不安ばかり。
「伊藤船長さん、何も出来ませんがよろしくお願いします。」
その後は波が穏やかで難関の四国の足摺岬、室戸岬も無事に通過し第一航海を
終えました。
毎晩宿に着くとすぐ生ビール、酒の飲めない私でも 大変美味しく疲れをとってくれて生ビールの飲まない日はありませんでした。美味しいビールを飲んで美味しい物を食べて2時間程人生等について語り明日は又頑張ろうと楽しい毎日でした。
私はナビゲーターなのですが、余り仕事が無く、3月に初めて携帯電話を買って銀行の職員の方にメールアドレスを登録して頂いていたので、航海中にメールの交換が出来ました。大変楽しい時間を過ごさしていただき、勇気づけられ、感謝!感謝!
第一航海を終え帰ってくると、神戸新聞、読売新聞に大きく掲載されたので一躍時の人!会う人に声をかけられ、
「あれ、もう帰ってきたん!?」「これから又第二航海に行くんや」「頑張って、気をつけて。」と励ましの言葉を掛けられ、大変勇気づけられました。
妻の墓参り、金光教へ参拝をし、兄の49日の法要も済ましていよいよ第二航海。長旅になるので波が穏やかで、無事帰って来れますようにとお願いしていざ出港。
第二航海は台風が発生したため当初の予定を変更して太平洋を北上するのをやめて、日本海を北上することとなりました。伊藤さんの決断がよくて波が穏やかで予定より順調に進みました。このままの状態が続けば有難いことです。
津軽半島も無事通過し北海道、積丹半島の景色はさすが国定公園、感動の連続です。利尻島、宗谷岬、知床半島、山も海も大変美しく感動の連続です。
知床半島はもう直ぐ世界自然遺産、誰でも行ける所ではありません。
知床半島の突端に無人の港があり上陸し、自衛隊の非常食の缶詰、鳥メシを頂いて熊が出て来ないうちに記念撮影、今回の日本一周航海だからこそ行けるのであって、誰でも出来ることではない。ヤッター!!!とゆう感じでした。
計画している時から北海道は霧が深くレーダーなしでは走れないと聞いていましたが、オホーツク海を通過する頃から徐々に霧が深く特に午前中はほとんど見えません。
羅臼港辺りから気温が低く寒いし前は霧が深くレーダーを注意深く見て定置網が無いか、船が来ないか緊張の連続です。しかし不思議と見たい地域に来ると霧が無くなり晴れて来るのです。
知床半島、納沙布岬、襟裳岬、も通過する時には霧が無くなりました。国後島、貝殻島も見えました。
納沙布岬も通過する30分前から晴れてきて、伊藤さんが灯台の所に根室海上保安部のライブカメラで私達のボートを見てもらうので今から専務と会社に電話して実況生中継するとのこと、まさかそんな事が出来るなんて信じられません。
伊藤さんが携帯電話で指示をして、専務、会社の職員さんもパソコンで納沙布岬の私達の船を確認、顔は見えないので座布団を振ったら見えますとのこと、こんなことが現実に!感動の連続です。
伊藤さんは携帯電話、パソコン等何においても最先端をいって色々な事を良く知っておられ感心しました。
逆に私は何も知らない、もっと新しい事に進んで取り組んで行かなければならないと思いました。北海道はさすがにでっかく11日間かけて回りました。いよいよ本州。
霧とお別れと思っていましたが依然と霧が深くレーダーとにらめっこ。三陸海岸も波が高いが港が沢山あるので少し安心して走れました。
太平洋も順調に進んで来ましたが千葉県銚子の犬吠崎を回ろうとした所。岬の所はいつも波が高くなるのですが、今回の岬は特に波が高くて半端ではありません。2.5mいや3mもの波が襲ってきます。
伊藤船長さんに聞くともう少し走れば波が治まるからと言われますがなかなか治まりません。鹿児島県の大隈半島の波どころではありません。
私は手すりをぎゅっと握ってただただ神様に波が治まるように、船が転覆しませんように、なんとか助けて下さいと祈るばかりです。
波が治まらない、この先に港が無い、これ以上無理をしないとゆう伊藤船長さんの冷静な判断で無事銚子港へ入港。
何もしない私ですが疲れがどっと出てきて、なんとか助かってよかったとゆう想いでいっぱいでした。太平洋はうねりも大きく波も大きく大変です。漁師の人に聞いて朝早く出れば風が無いから走りやすいとの事なので、伊藤船長さんの判断で午前5時30分銚子港出港、うねりは大きかったですが無事犬吠崎を通過しました。
ところが昼過ぎより風が吹いて波が高くなり房総半島が回れません。
明日、明後日と波が高くなるとの事。翌日午前4時30分鴨川港出港。前日と同様うねりは大きかったですが無事野島崎を通過やっと房総半島が回れました。
ところが伊藤船長さんの予想どおり風が吹いて波が高くなり、午前10時真鶴港へ着くなり台風なみの突風です。太平洋は波が大きくて怖いです。その後石廊崎、御前崎、無事通過し浜松で森山さんと合流。
元電算部の3人がそろってスナックへ、昔の歌を歌って楽しい夜を過ごし、後2日いよいよラストスパート。森山さんが合流して3人でにぎやかな船旅となり、最後の難所潮岬も波が高かったのですが、3人だと不安が和らぎました。
そして相生港へ大勢のお出迎えのなか無事到着。伊藤さんの家族の方、ユラク管理課の職員の方、読売新聞の松田記者、神戸新聞の記者の方、お忙しい所お出迎えありがとうございました。
小型ボートで日本一周航海、夢のようなことが達成できたと思う反面これで終わりかと寂しい面もあります。
夢が達成出来たのは、家族の理解があったこと、伊藤さんが優秀な船長さんだった事、専務さん始め沢山の親戚や友人の方の協力があり、又各地の港で多くの人の親切があって日本一周航海が達成出来ました。
本当にありがとうございました。
第一航海8日、第二航海25日、合計33日6200キロの旅。
あっという間の日本一周航海でした。
伊藤さんありがとうございました。
12月31日、もし私がユラク管理課に寄っていなければ、私は今回の夢に参加出来ていません。何か神様がそうさせたのでしょうか。今でも不思議に思います。
伊藤さんから聞いた事なのですが、これからは夢を持ってその夢に向かって行動すれば必ず夢は叶うとゆうことです。
これからの第二の人生、夢を沢山持ってその夢に向かって頑張って行動して行きたいと思います。
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